ここは2D格闘ゲームの神と呼ばれるウメハラ氏の応援サイトであり、彼にまつわる伝説の数々を紹介するサイトです。
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ウメハラとは?

来歴 (Wikipediaより引用)

来歴

11歳前後で対戦型格闘ゲームを始める。1994年、彼が中学生の頃発売された『スーパーストリートファイター2X』において才能が開花。『ヴァンパイアハンター』での286連勝(負け終了ではなく、閉店による棄てゲー。ゲーム内の表示は255で0にリセットされた)などの記録を残し、当時から都内のゲームセンターでは著名な存在であった。1995年、ゲーメスト杯『ヴァンパイアハンター』全国大会に出場。選手宣誓を務めるものの、ブロック決勝敗退。

1997年、ゲーメスト杯『ヴァンパイアセイヴァー』の全国大会において、長年のライバルとなる大貫晋也(通称ヌキ)を決勝リーグで打ち倒し優勝。全国にその名を広めるきっかけとなる。

1998年、ゲーメスト杯『ストリートファイターZERO3』の全国・世界大会が開催。関東地区予選こそ大貫に敗れ2位に甘んじたものの、全国大会決勝リーグにおいて大貫を打ち倒し、優勝。その後行われた日米決戦において全米優勝者アレックス・ヴァイエイと対戦。試合前のインタビューで「負ける要素はない」と言い放ち、追い込まれるものの宣言通り見事に勝利を収め、名実共に世界一となった。この一連の大会模様がテレビ東京系列の深夜番組で放映され、全国の格闘ゲーマーに衝撃を与えた。

2000年『CAPCOM VS SNK』の全国大会に出場。ここでも優勝を果たし、カプコンオフィシャルの全国大会で3連覇を達成。同年行われた「カプコン格闘ゲーム日米決戦」では『ストリートファイター3 3rd STRIKE』部門にて選抜。アレックスを始めとする全米選抜選手4人を打ち倒し、改めて実力を全米に轟かせた。

2001年『CAPCOM VS. SNK 2』の全国大会に出場。今大会においても前評判は非常に高く「優勝に最も近い男」と呼ばれていたものの、決勝トーナメント敗退。梅原と大貫は今大会において対戦することがなく、優勝した大貫は「梅原君を倒して優勝したかった」と発言した。

2003年には、日本で「闘劇」、アメリカで「Evolution」という、両国を代表する対戦型格闘ゲームの祭典に出場。複数のゲームにおいて優勝を果たす。この頃にはその強さが世界的に知られており、彼は出場したほとんどのゲームにおいて優勝候補であり、出場する試合は人気カードであった。

2004年にはEvolutionに再度出場。『ストリートファイター3 3rd STRIKE』のルーザーズ決勝で「背水の逆転劇」と呼ばれる大逆転を決め、世界中で称賛を受けた。

2005年、「闘劇」の『ストリートファイター3 3rd STRIKE』部門で大貫とタッグを組み(タッグ名「ウメヌキ」)優勝、『スーパーストリートファイター2X』の大会X-MANIA外伝をプロデュースなど活発な活動を続けるが、出場予定だったEvolutionをキャンセルリンクを見る。出場をキャンセルしたこと自体が海外のゲームサイトでニュースに取り上げられた。

2007年、「Darkstalkers Combination Cup (DCC) 」第2回大会に参加。ブランクがあったにもかかわらず『ヴァンパイアハンター』部門で優勝を果たし、現役ハンタープレイヤー達の度肝を抜いた。使用キャラはパイロン。

2008年、『ストリートファイター4』をプレイし始める。稼動直後から勝率90%以上をキープし続け、2008年の通算バトルポイントでは130,915BPで総合1位を獲得。2位と15,849BPの圧倒的な差をつけて健在振りを見せ付けた。使用キャラはリュウ。